日本に残した心の欠片
長い間、自分の日本に対する気持ちについて書こうと思っていました。20年間の間に色々があって、日本との関係が少しずつ変わってきました。頭をすっきりさせるために、自分の気持ちをはっきり自己表現したいと思います。
まずは、簡潔に自分の日本の経験や日本に興味を持ったきっかけについて述べましょう。2003年に大学の同級生に「ヒカルの碁」というアニメを勧められました。当時22歳だった僕はアニメや他の日本文化もまったく触れたことがなかったのですが、結局見ることにしました。その作品は少年漫画に基づいていますが、日本の文化や日常生活がよく描かれています。あっという間に日本の文化に興味を持つようになりました。その秋大学の日本語のクラスに入って日本語の勉強を始めました。日本語のクラスの友達が東京で学位論文を書くことにしたと聞いたのでその友達に会いに行って一緒に日本を体験する予定を立てました。
そうして2005年に初めて日本に行きました。学生として僕も学位論文を書くことだけが残っていたのでしばらく大学を休んでも全然平気でした。泊まったゲストハウスも安かったし、春の6週間の滞在にしました。6週間で流石に東京の観光スポットや地域をよく回りました。京都をはじめ他の都市も訪れました。西は広島まで行って、東は仙台に行きました。ちょうど3月中旬から4月の下旬まで日本にいたので日本の春の素晴らしさをたっぷり体験できました。長い旅の中で一番印象深かったのはこれです。満開の美しい光景は心に刻みました。6週間の間に人とも結構会いました。特に同じゲストハウスに住んでいた人達。半分ぐらいは日本人で、その他はさまざまな国籍が混ざっていました。
日本に過ごした時間は本当に楽しかったです。それに、正直言うと、社会人になることに不安が一杯でした。自分が何をしたいのか、自分の能力にも自信がなく、かなり迷っていました。それで、大学を卒業してから就活の代わりに留学の可能性を調べました。結局、2007年の1月東京の九段下にある日本語の学校に入学しました。2年前に泊まったゲストハウスにまた泊まることにし、幸いにも2005年に会った人達はまだ何人かも住んでいました。
学校の初めての日、入学試験の結果に基づいて初中級のクラスに振り分けられました。学期が始まると驚きました。クラスメイトについていくのが大変でした。文法的には問題ありませんでしたが、単語が全然足りませんでした。それで、知らない言葉を全部書き留めて、毎日特訓することに決めました。あっという間にクラスに追いついた気がしました。初めからクラスはとても面白く、馴染んでいました。先生達やクラスメイトを変な例文で笑わせようとするのも楽しかったです。少しずつクラスメイトとも親しくなりました。

留学は一年間の予定でしたが、東京での生活がとても楽しく、結局半年延長しました。授業も、放課後にクラスメイトと一緒に過ごした時間も、すべて大切な思い出ばかりです。遠足に行ったり、自分で青春18きっぷを使って旅をしたりと、本当に記憶に残る体験が多く、留学の時間には永遠に感謝しています。それでも一年半が経った後、結局ストックホルムに帰って就職活動を始めました。
帰国する時、本当にストックホルムが恋しかったです。ずっと日本に住んでいて、長い間家族やストックホルムの友達に全然会えていなかったからです。前述の通り、大学を卒業した時は人生に迷っていました。自分のスキルにあまり自信がなく、将来についてストレスを感じていました。東京に行った時、何年振りかで将来に対するストレスを感じずに、マイペースで楽しむことに集中し、自分磨きに専念することが出来ました。本当に強調したいのは、当時東京で過ごした時間は僕の人生の大切な部分になったということです。今でもそう思っています。本当に第二の故郷のように感じました。それで、帰国した時に心の欠片を日本に残したように感じました。その欠片を失ったことで、心に穴が空いたような気がしました。
ちょうど帰国した時、世界はかなりの不況に陥って、就職が大変でした。3年間ほど銀行でバイトをしていました。「自分の将来はこれなのか」と思いながら努めました。大学の仲間は皆ちゃんとした仕事を見つけているのに、僕だけが中途半端な存在だったのは、正直言うと辛かったです。東北の大震災のニュースは、涙で潤んだ目で見ました。大したことができないかもしれないけど、それでも助けに行きたかったです。でも、経済的にはどうしても無理でした。
2011年の夏にはついに良い仕事を見つけました。プログラマーのコンサルタントとして働き始めました。収入の良い仕事ができるようになり、旅行する余裕もできました。2012年には、3年ぶりに日本に行きました。友達や本先生に会えて、本当に楽しかったです。その時からは頻繫に日本を訪ねるようになりました。行くたびに出来るだけ多くの知り合いに会おうとして、友達のアパートに泊めてもらいました。また、東京で生活をしているような感覚になり、日本に残した心の欠片を見つけたようで、心に空いた穴をしばらく埋めることができました。2015年からは(コロナ禍をを除いて)ほぼ毎年日本に行っています。

しかし、2008年に帰国してから、知り合いはだんだん東京や日本から離れていき、残っている知り合いとも距離のせいで疎遠になってしまうことが多くなりました。日本に残した心の欠片は少しずつ削られていきましたが、心の穴はまだ埋まらないままでした。友達の家ではなくホテルに泊まるようになり、知り合いと会う機会も随分減りました。こんなによく日本に行っているのに、普通の観光客とほとんど変わらない状態に気づき、パニックになり始めました。長年にわたって日本との関係を自分にとってとても大切に思っていたのに、その関係が少しずつ失われていくのが怖かったです。
今では、どんな短い時間でも知り合いと会うことが出来れば嬉しいです。無理に人に会ってもらおうと思いませんが、会ってくれる人がいれば、それがやっぱり何よりの幸せです。
日本での人間関係が徐々に減っていくことに少し落ち込み始めた時、一つの良い出来事がありました。2018年、ゴールデン街の小さなバーに偶然入って、そこで何晩か過ごしました。魅了されて、次の旅行でまた行き、今度はボトルも入れました。6年間(まばらに)通い続けて、いつも常連客として迎えられて心の穴が埋まっていくことを感じます。
新しい繋がり
久しぶりっす。二年間の沈黙はごめんなさい。この前のエントリーから三回目の来日で今ホテルで今の自分の事情を考えているところだ。
日本に対しての思いは複雑だ。日本の文化も社会も好きだ。日本人の礼儀正しさと優しさは俺に安全感を与える。それでも、一人で外国に暮らすと、なるともうちょっと深い関係を作らないと結局な寂しさと憂鬱が待っている。
一年半東京に住んでた間に知り合いは結構出来た。その時の知り合いはほとんど三つのグループに分けられる。
- ゲストハウスの仲間
- 学校の先生
- 学校のクラスメイト
ゲストハウスの仲間とクラスメイトの仲は友達と言ってもいいぐらいの知り合いもいたけど、どっちのグループの人も帰国や引っ越すすることも多かったのでいつまでも頼れる仲間じゃなかった。元先生とは凄く仲良くても先生が自分の友達になるのは難しい。先生達は多分何百人の元生徒もいるし、すでに自分の友達もいるし、わがままな期待はやめよう。
結局いろんな知り合いがいたのに寂しい時も結構あった。
日本の暮らしの一番の後悔は共通の興味に基づいて友達を作らなかったこと。帰国する二ヶ月前にゲームショップに行って日本人とゲームを打ったりしたんだけど、その時はもう遅かった気がする。また日本に引っ越した時は最初から友達を作ろう!
でも、嬉しいことに、今年は旅行中でも深い関係を作れた。その一つ目は新宿のゴルデン街のバーで「常連」になったこと。マスターも他の店員も他の常連さんとも仲良くなって色んな話をしてくれる。日本の観光地やお店を推薦してくれる。
その上、今まで一番重要な日本で作った繋がりは「園ちゃんとマイマイ」との友情。何のグループにも分けらない繋がり、ただの本物の友達。広島のワインバーで偶然に会った二人と仲良くなった。今回の日本旅行で一番楽しかったのは皆一緒に広島や広島県を探検することだった。10年前に帰国してその時からずっとスウェーデンに住んでて「日本に住んでた時、日本語を勉強した時間が無駄になるのはいやだ」とよく思ったことがある。今はもうそう思わない。
クリスチャンの日本語
ントリーは普通体で書かせていただきます。
プロフィールに書いているどうり、2003年に日本語を興味として発見した。ヒカルの碁というアニメや漫画をきっかけに、日本語にも日本の文化にも強い興味を持ってきた。
秋には4人の大学の同級生が初級2の日本語のコースに向かっていた。一緒に勉強したかったからその夏は初級1の内容を独学した。入学試験は問題なく合格した。実は夏には段々勉強して初級2の内容も分かってきた。(スウェーデンの大学の日本語のレベルはかなり低いし。)それで初級2の成績も結構良かった。
2006年は大学を卒業した。その後は「日本語の勉強を続こうか?」と自分で考えて、結局東京に引っ越す予定を立っていた。2007年1月に九段日本語研究所日本語学院っていう学校に入学して初中級のクラスに入った。1年半後は上級3までたどり着いて卒業した。(学校の一番上のクラス。)
始めに初中級のクラスに入れられた俺はショックだった。単語は凄く下手で「レベルは高すぎる」とよく考えた。でも諦めずに毎日分からない言葉を全部メモ用紙に書いて放課後で辞書を引いて頑張っていた。最終的に一番苦労したのは会話力だった。日本語のレベルをかなり上げても精神的な問題はあった。子供のころから結構恥ずかしがり屋で内向的だった。その上人の前で日本語の間違いをするのも凄く嫌だった。だから日本語は知り合いとしか喋りなかった。
2008年の6月には国に帰って就職した。帰国後は2009年、2012年、2015年または2016年に訪ねて 来日した。8年間ずっとスウェーデンに住んでるから日本語のレベルはもちろん下がる一方だ。それにしても精神的には成長している。もうちょっと積極的になってて知らない人と日本語で話すのはもう怖くない。だからある意味で2008年より強くなっている感じもたまにある。例外は知り合いと話している時だ。その時はすでに積極的だったから日本語のレベルの差しか影響しない。
最近は「また日本に引っ越して就職しようか。」と考えているんだ。この間日本にいて、「やはりここに住みたい!」っていう感じがした。日本語の勉強も続きたいし。もしこの話に続きはあったらこのブログに記録する!